孝子さんの曲で印象的なフレーズの一つに《本当の自分 (「ピエロ」「美辞麗句」「虹を追いかけて」)》《本当の私 (「Kiss」)》があります。ところが、ある時期を最後に、このフレーズは使われなくなるのですね。
1991年 (もう10年たったんですね……)、孝子ソングを全編にフィーチュアした「五月の風 〜ひとりひとりの二人」というドラマが日本テレビ系で放映されました。そこで台詞に「本当の自分」「本当の私」がやたらめったら出てきました。月刊カドカワ1993年8月号によると、それを見た孝子さんがさめてしまい、以後このフレーズを使うのは意識的に避けているのだそうです。当時、孝子さんは「岡村孝子に関するステレオタイプ」から脱皮しようとしていたところがあるようで、《本当の自分》から「岡村孝子に関するステレオタイプ」の匂いを感じとったんでしょう。
という話をさかさんとこの掲示板に書いたところ、さかさんから「第一生命のCMや『Answer』に "私が好きな私" が出てくるけど、言い方が変わっただけなのでしょうか?」とコメントがありました。それについて何も返答しなかったので、ここで自分の個人的見解を書いてみます。
「本当の」という修飾句付きの「自分」は、本当じゃない嘘の自分がいることが前提にあるものです。今の自分の姿を認めていないわけで、一種の自己嫌悪ですな。向上心の源になることも確かである一方、葛藤も生まれます。その葛藤が、初期の孝子さんの歌の重みにつながるんでしょうね。
対して「私が好きな私」は、おのれを肯定的に受け入れている言い方です。自己嫌悪の反対ですから「本当の私」とも反対のところにあることになると思います。もちろん歌の登場人物は孝子さんご本人とは別人格ですが、孝子さん自身の人間観にも変化があったと、私は解釈したいところです。
なお、Koh の記憶が確かならば、孝子さんご本人は自分の出すアルバムに対するコメントとして「私って何をやっても岡村孝子なんだと改めて実感した」とおっしゃったことがあります。
文中 《 》 で括った箇所は、すべて孝子さんソングの歌詞から引用したフレーズです。出典は ( ) 内に記してあります。